未分類

プロフィール

 

 

基本情報

はじめまして!にやといいます。
1994年生まれ
看護師7年目
趣味
・旅行と海が好き
・旅行で美味しいご飯と美味しいお酒を飲むのが好き

 

私は看護師として働いていますが、ある目標があります。

それは、

2024年中に在宅副業で月収30万円を達成し夜勤をやめる

というものです。

このブログを投稿しているのが2024年3月。2024年もあと10カ月。

正直、看護師だけでも十分生活はできます。
しかし、実際は好きなことをしたり貯金を満足にできるほどの給料はもらえません。

なぜ私がもっと稼げるようになりたいと思ったかを、今回は私の自己紹介を通してお話ししたいと思います。

 

生まれ~中学生時代 普通の家庭から極貧へ

私は京都生まれ京都育ちで現在も京都に住んでいます。

私の家庭は母子家庭で4人兄弟、2番目の女1人の家庭で育ちました。

深堀するともっと複雑ですが、兄弟4人はとても仲が良いです。

小学校では勉強はあまり好きではなかったですが、バレーボールを始め楽しく過ごしていました。

小学校低学年頃までは週末は家族で外食をしたり、車でお出かけをしたりする
ごく普通の家庭。

しかし、ある日父が仕事仲間にお金を持ち逃げされ、借金を抱えることになり突然とんでもなく貧乏な家庭になったのです。

車も売り、家賃は滞納。

そこから父とは別居、離婚。

母はそれまではパートで働いていましたが、仕事を3つ掛け持ちをし9時から仕事へ行き、夕方一度帰ってきてから晩御飯を作りまた夜に仕事へ行き朝6時に家に帰ってきて私たち学校へ送り出し、少し寝てまた仕事へ行くという生活をしながら私たち兄弟を育ててくれました。

とても貧乏だったので電気やガスが止まってしまう、
携帯が繋がらないなどは日常茶飯事でした。(笑)冬の冷たいシャワーは地獄!!(笑)

マンションだったので廊下の明かりで兄弟と一緒に宿題をしていたのも
今となってはいい思い出です(笑)

そんな生活をしながら中学生になり、家庭は極貧でしたが
周りの友達などには恵まれており助けてもらいながら生活していました。

 

高校生時代 -貧乏以外の挫折

極貧生活はあまり変わりませんでしたが、高校では今でも定期的に会う友達にもたくさん出会えて、とても楽しい学生時代でした。

しかし、ここが人生の分岐点になりました。

それは、進路です。

私の将来の夢は中学校の体育の先生でした。
ずっと続けていたバレーボールを教えたいと思い体育大学を受験。

体育大学には合格しましたが「体育の女性教員は需要が少なく教員免許が取れても常勤として働けない。」「授業料が高いので奨学金をどれだけ借りれるのかわからない。」という問題がありました。

そこで母から”看護師”はどうかと言われました。手に職があり女一人でも生きていけるようにという思いもあったようです。

しかし私は、「看護師とかなりたないわ。血とか見たくないし。」と最初は嫌がってしました。

知り合いから「看護学校は病院から看護師免許取得後、そこの病院で働くという契約であれば奨学金を借りることができ、返済しなくてもいいという制度があるんやで。」と聞き、
家が貧乏だったこともあったのでそのほうがいいのかもしれないと思い看護師の道に進むことを決めました。

しかし、それを決めたのは高校3年生の12月。体育大学に合格したあとのことでした。

そこから看護学校を2校受験しましたが、結果は不合格。

高校卒業後、体育大学は諦めて浪人することが決定しました。

周りが大学生になり新しい生活を始めている中で、私はバイトをしながら勉強を続けなければいけないという挫折を味わいました。

 

浪人生時代 挫折からの復帰

4月になり周りが大学に通うという現実を見たくなくて、バイトをしては遊んでを繰り返していました。

11月になり(いつまで遊んでるねん←)さすがに母に怒られました。

そこから塾に通い勉強を受験勉強を始め
3校受験し2校不合格、しかし1月に奇跡的に1校だけ短期大学に合格することができました。

そして、その系列の病院から奨学金を貸してもらえることも決まったのです!

 

看護学生時代 苦痛の学生生活

看護学生時代は、一言で本当に大変でした(笑)

まず片道2時間半の電車通学。

満員電車に揉まれ気分が悪くなり何度も途中の駅で降りて持っていた袋の中に吐いたこともあります。汚くてすみません。。

短期大学だったので一つでも単位を落とせば留年となり、留年となれば病院からの奨学金は返済しないといけないという厳しい世界。

試験を落としても1度だけ追試がありますが、追試でも2000円がかかる。

極貧だった私は意地でも「絶対お金を払いたくない!」という気持ちだけで勉強していました。(笑)

試験だけでなく実習でも膨大な量の事前学習課題、記録。

毎日始発に乗って実習へ向かっていました。

普通の大学生が羨ましくて仕方なく、「絶対に一発で国家試験に合格してやる。」と
謎の対抗意識を燃やしていました(笑)

そんな3年間を乗り越え無事に卒業し、国家試験にも合格し看護師となりました。

 

看護師になって 念願の看護師?

看護師になってからは奨学金を借りていた病院へ入職し、療養病棟へ配属。

人間関係には恵まれていたほうだったので時々怒られたりはありましたが
先輩たちは優しく色んなことを教えてくれました。

自分で稼げるようになり、母への恩返しも少しずつできるようになっていき、それがなにより嬉しかったです。

しかし、夜勤は看護師1人、介護士2人の3人夜勤で看護師の仮眠時間はほとんど0でした。20代前半のころは耐えらえていましたが徐々にきつくなっていくのを感じていました。

コロナが流行りさらに仕事が忙しくなり、気を張ることも増え毎日疲弊していました。

そのときに漠然と「在宅で仕事ができたらいいな。」と思うことがありましたが、
忙しくてそんな考えも薄れていっていました。

そんな毎日も少しずつ緩和されてきたころ、奨学金を借りていた病院の契約期間が終了し、もっと色んな知識を学びたいと思い急性期の病院へ転職。

そこでは循環器と総合内科の混合病棟に配属されました。
急性期なのでとても忙しく毎日何件も緊急入院がくる日々。
看護師の仕事は好きなので忙しいけど毎日楽しく仕事をしていました。

 

在宅ワークにたどり着いたワケ 違う働き方との出会い

転職後も大変だったけど楽しく過ごしていたとき、私自身が生理不順となり病院で検査をすると異常が見つかり短期間ですが入院・手術することになりました。
それは大きな病気ではありませんでしたが、ストレスや生活習慣の乱れで起きやすいと言われました。
看護師をしていると夜勤があるのでどうしても生活習慣が乱れてしまいます。
肌も荒れる、風邪をひきやすくなるなど以前から少しずつ体の不調は現れていました。

また現在29歳になりまだ独身ですが周りが結婚していく中で、色んな悩みを聞きました。

・結婚をするとなれば結婚式もしたいし、新婚旅行も行きたい。けど貯金がない。
・結婚後もこのまま夜勤を続けていると相手と生活リズムも合わなくなる。
・子どもができたら夜勤を続けながらだと正直体力的にも大変。
・でも夜勤をしないと稼げないので将来の学費や老後が心配。
・子どもが体調不良で急に休まないといけないときもあるから申し訳ない。

 

そんな悩みを聞くと「今の収入・貯金額だと結婚や老後を考えたときに厳しい。」という現実を目の当たりにしました。

実際、夜勤をしなければ看護師の給料は月23万円ほどです。
でも母への仕送りや一番下の弟はまだ学生なので学費のことを考えると夜勤もしないといけないし、貯金をしている余裕はない。

でも夜勤なしでも稼いで貯金もできるようになりたいと思うようになりました。。

そこで副業をしてみたいと考え、「でも看護師以外でなにがあるんだろう?」と悩みました。
コロナが流行ったとき「在宅で働ける仕事があればいいな。」と思っていたことを思い出しました。

そんなときにインスタグラムで”リモラボ”という在宅ワークのスクールがあることを知りました。

すぐに無料セミナーに参加し、その日に入会を決めました。

パソコンすら持っていなかったのですぐに安いパソコンを購入し
現在、在宅ワークについて勉強を始めています。

パソコンはカルテ以外はほとんど触ったことがなく、
パソコンの使い方すらもよくわからない私でも
在宅副業で月収30万円達成することができるということを証明し、
誰かの希望になれたら嬉しいです!

 

最後に

・看護師の仕事が好きだけど、収入に満足していない人
・また看護師が辛くてやめたい人

どちらにも一歩を踏み出す勇気を与えられると思います!!

おなじ悩みがある方は一度サイトコンセプトの記事も読んでみてください!

 

最後まで読んでくださりありがとうございました☆